2011年12月31日

今年の大晦日

 去年の大晦日は雪景色、今年は雲ひとつ無い晴天で、夕方所用で車を走らせていたら、ふと目に付いた。南東の彼方に大峰山系の弥山(標高1895m)八剣山(1915m)普賢岳(1780m)の山頂に積もった雪は、快晴の夕日を浴びて金色に輝いていた。カメラを持っていなかったのでその姿を紹介できなくて残念。明朝晴天ならば日の出を紹介する予定。
 
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 写真が無いブログは面白くないと思うので、我が家の大晦日の光景でも添付しよう、半世紀同じ光景だが、今年は来客も今のところ一人だけ。子供たちも成長したのか、してないのかは不明ながら食卓の周りから姿が消えたのが半世紀前との変化。

           2011.12.31(卓)
 
posted by dentousyoku 2011/12/31 | コラム>ただいま奮闘中

2011年12月23日

学習会 福島原発問題から、ゆく年くる年を考える

学習会 「福島原発問題から、ゆく年くる年を考える 
 ―福島・チェルノブイリ現地調査報告―」 

講師:今中哲二さん(京都大学原子炉実験所助教)


 2011年12月21日(水)大阪市立住まい情報センター研修室にて、当会今年最後の学習会が開かれました。今中哲二さんは、大学院卒業後から原子力利用による危険性・デメリットを明らかにするための研究に従事してこられました。

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今中哲二さんの話に耳を傾ける会場いっぱいの参加者

 日本で原子力発電がスタートして40有余年。日本の原発は必ず地元の反対にあい、安全神話と交付金・雇用の増加などが振りまかれて、反対運動が抑え込まれながら増え続けてきたと今中さんはいいます。
私(今中さん)にとって原発の安全神話が完全になくなったのが1979年のスリーマイル島原発事故で、「原発は安全か危険か」ではなく、「原発はどの程度危険なのか、その危険を我々は受け入れるのか」そういう考え方をしてきた。
 1986年のチェルノブイリ原発事故を20数年追い続けて来て、今回福島の原発事故。今起きていることは周辺30kmで、村や町が消滅する危機に陥っていて、チェルノブイリと同じことだと思っている。放射能の種類や量は若干違うが、地域社会がなくなるのは同じことだ。

 東電・経産省・保安院・原子力安全委のいずれもが「原発事故は起きない」と思っていたという。事故が起きた時どこへどう放射能が流れ、どれくらいの被曝になるか、迅速に予測して防災対策に役立てるはずの「SPEEDI」が、事故直後どこに消えていたのか。後になって、動いていたが何の役にも立たなかったとわかる。政府の中枢もリーダーシップが崩壊していた。大熊町にある「オフサイトセンター」(原子力災害対策センター)には「SPEEDI」に使われるデーターが集まってくるはずが、機能は停止していた。

 日本も放射能と向き合う時代になった。私たちはどこまでの被曝を我慢し受け入れるのか、一般的な答えはない。ただ、自然放射能で年間1ミリシーベルトの被曝、年1ミリシーベルトが我慢の目安の一つであろう。しかし子どもは感受性が大きいので、被曝は少なくすること。
 とにかく、原発はやめにしよう。一度原発を全部止めてみたらいい。それで必要かどうかはっきりするのではないか。何が本当に大事なのか、もう一度考えてみようと今中さんは結びました。
posted by dentousyoku 2011/12/23 | 事務局から>行事レポート

初冬の水田

 伝統食列車20号の3日目。最上川の支流の立矢沢川沿いを観光バスでしばらく走りました。窓ガラス越しに見えた山形県庄内町の水田。稲作者のしゃれっ気でしょうか、排水のために掘られた溝の模様がおもしろい。走行中、急いでシャッターを切りました。
 来年も美味しいお米が実るでしょう。

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2011年12月4日 山形県庄内町にて  麻生 一衛

posted by dentousyoku 2011/12/23 | 写真帖>田畑

大河のごとくに

晩秋、稲作用のため池の水が抜かれた。浅い皿池である。できた溝に滲んだ水が、密林あるいは大平野を蛇行して流れる大河のように見え、おもしろい光景となっていた。

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2011年11月15日 京都府木津川市にて  麻生一衛
posted by dentousyoku 2011/12/23 | 写真帖>田畑

2011年12月20日

ソバ打ちとあんぼ作り

ソバ打ちとあんぼ作り  
新潟県津南町の高波敏日子(たかなみとしひこ)さんを講師に迎えて
日 時  2011年12月18日(日曜日) 10時〜14時30分
場 所  成蹊中学校・高等学校

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  そば打ち  
   ・オヤマボクチ入りそば     
   ・そば粉100%のそば

       
 
      
オヤマボクチをつなぎに使ったそば打ち 
オヤマボクチ入りのソバは新潟県津南町・長野県栄村・旧中里村で食べられている郷土食です。
このソバは日持ちがよいこと、繊維質や海藻をを加えた食品であること、こしのある食感等が特徴です。

高波さんのオヤマボクチ入りのそば打ちを見学した後、6グループに分かれてそば打ちを体験。高波さんの指導や助けをかりて出来上がったそばに各グループは大満足。


 
オヤマボクチ入りそば.jpg
そば粉にオヤマボクチを加えてそば打ちの始まりです。
オヤマボクチ(山ゴボウ・ヤマボッコとも言います)の葉の裏についている網目状の繊維とフノリに水を加え銅ナベで煮詰めた濃い緑色のドロドロ状にしたモノをそばのつなぎに使います。
   


丸く整う.JPG
指全体を使って粉を混ぜあわせると5分くらいでそば粉全体に湿り気が出て、次第に小さな固まりが多数できます。さらに練って全体がしっとりとしたなめらかな粘りがでたらの球形に丸めます。


円形に.JPG
球形を押しつけて円形に形を整えたら手のひらでおしつけ、少しずつずらしながら繰り返していると円形の中央に富士山のように盛り上がった円錐状ができます。

円錐形の山の部分を押しつけて平らな円形を作り、麺棒で縦に斜めにのばしていくと円形から楕円形にそして正方形へと形が整っていきます。全体がソバの厚みくらいい薄くなるまで麺棒でのばしていきます。



正方形に.JPG

そばの完成.JPG
薄い正方形になったら、その状態でしばらくねかせておきます。まな板と麺の間に空気が入ってふんわりと浮き上がるようになったら4つ折りにして切ります。


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ソバが出来ました。
オヤマボクチ入りのソバは沸騰してから1分、100%ソバは40秒ゆでます。


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食卓にはオヤマボクチ入りのそばと100%そば粉のそばが盛りつけられました。
白いお皿が100パーセントのソバ粉で作ったソバです。


山の幸.jpg
7年ぶりに実をつけたブナの実です。そばの実より少し大きい様ですが、大きな木に実った小さな実はから煎り又は生ででいただきます。日本の豊かな実りを大切に守ってきた郷土の心が伝わる1品です。

大根の煮物.jpgこんにゃく刺身.jpg漬け物.jpg炒り豆.jpgDSC03264.jpg大豆煮.jpg














地元でできた食材を使った高波さんの手作りのごちそう(右上から時計回りに)
・わらの灰を濾過した水分を凝固剤として使ったこんにゃくの刺身
・炒り豆
・そば豆腐
・大豆の煮物
 (そばつゆを作った時に残る昆布や椎茸を使っています)
 (大豆は歯ごたえを残すために水に浸してません)
・野沢菜の漬け物
・大根、こんにゃくなどの煮物

そばがき
そば粉からそばがきへ.jpgDSC03343.jpg
熱したそば湯にそば粉を入れ素早くかき回し、透明感が出るまでかき混ぜて出来上がりです。柔らかくふっくらしたそばがきをそばつゆに入れ、ネギとそばの実を加えておもてなし食になります。

食後、高波さんの尺八と相馬盆歌で日本の伝統文化の披露もあり、和やかなソバ料理の余韻を味わいました


栄村の郷土食「あんぼ」
栗原澄子さんの指導で挑戦です。
小豆あんや大根葉の炒め煮、おからなどを包んだおまんじゅうです。
(信州のおやきは餅米の粉を使っていますが、あんぼは米粉を使います)
  
・米粉(上新粉ともいいます)に熱いお湯を少しずつ入れて耳たぶくらいの堅さに練ります。
・中まで火が通りやすいように、こぶし大にちぎって丸めて蒸し器に入れ20分くらい蒸します。
・透明になって蒸し上がったら再びこねます。
・一握り程度の分量を小さなお皿くらいに延ばして、具を入れて包みます。
・できあがったあんぼをきつね色になるまで焼きます。

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あんぼの材料
・小豆のこしあん
・ひじきとおから煮
・米粉

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具を入れたあんぼ(このあんぼを焼いて頂きます。)


その土地にある食材を使っておいしく食べる工夫を続けてきた食文化にふれたそば打ちとあんぼ作りでした。


次回の予定
新春懇親会
 各自持ちよりの料理で懇親会
 懇親会テーマ 伝統食列車報告と原発問題を考える
 日 時 2012年1月29日(日曜日)
 場 所 成蹊中学校・高等学校調理室
   

posted by dentousyoku 2011/12/20 | 東京連絡会>お知らせ

学習会「福島原発問題から、ゆく年くる年を
考える―福島・チェルノブイリ現地調査報告―」

 チェルノブイリと並ぶ世界最大規模の原発事故で放射能汚染と向き合わざるをえなくなった今年の最後の行事。研究者としてチェルノブイリの調査に何度もでかけ、福島原発事故直後から現地調査にあたられた今中先生に、現在の状況とこれからの問題をお聞きし、私たちの役割を話し合います。

・日 時:2011年12月21日(水) 午後1時30分〜4時
・場 所:大阪市立住まい情報センター 5F研修室
    (地下鉄堺筋線・谷町線「天神橋筋6丁目」下車1分
     3号出口から連絡、JR環状線「天満」より北へ7分)
    Tel 06-6242-1160
・講 師:今中哲二氏(京都大学原子炉実験所助教)
・参加費:500円
posted by dentousyoku 2011/12/20 | 事務局から>行事のご案内

2011年12月13日

写真で綴る「伝統食列車第20号」・・・初冬の山形・庄内町へ

   写真で綴る「伝統食列車第20号」
          ・・・初冬の山形・庄内町へ
12月2日(金)から4日(日)

テーマ 
 
 「脱原発目指し、人権のすわった震災復興・農漁業再興へつながろう!」
 


定員50名の今回の列車は、準備期間が短かったにもかかわらず、現地山形から福岡まで49名が参加しました。
 


《1日目》

大阪からの団体は、午後2時JR余目駅で現地集合と合流、一行を乗せたバスは雪を頂いた鳥海山を背に伝統野菜・平田赤ねぎの作付圃場に向かいました。
 

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酒田市で江戸時代から栽培されてきた伝統野菜の平田赤ねぎ。焼いて食べるのが一番おいしい。

会場をJAあまるめ生活センターホールに移し、平田赤ねぎの生産者とJAあまるめの農林水産大臣賞受賞特別栽培米の取り組みについて聞きました。

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土づくりが一番大事と話す、JA庄内みどり 平田赤ねぎ専門部会会長後藤 博さん

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JAあまるめブランド米振興会会長佐藤一彦さんは特別栽培米づくりを支えるのは、古くからの互助体制・互助精神と語りました。

休憩を取り、ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピー在来作物と種をうけつぎ守る人々―」の予告編の上映。
2011年9月に完成したこの映画の監督、渡辺智史さんは1981年生まれ、2012年2月以降全国の映画館公開や自主上映が開始されます。

夕食交流会
20品の郷土料理が出され、当会からは会員手づくりの泉州の郷土食「ごより豆」がお土産として手渡されました。
作り手  ・JAあまるめ女性部 ・庄内町生活改善推進協議会 

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イナゴの佃煮

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しそ巻き

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ハタハタ田楽とごま豆腐のあんかけ

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納豆汁

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弁慶めし


《2日目》

バスで菜の花温泉「田田」を出発、シンボル風車のある「ウィンドーム立川」で庄内町の自然エネルギーの取り組みについて、映像や展示で学習しました。
その後、最上川の田園地帯にそびえる8基の風車を見学しました。

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庄内町のシンボル風車

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庄内町ウィンドファーム 全長100mの風力発電機

亀ノ尾の里資料館を見学。コシヒカリやササニシキやつや姫のルーツとして名高い「亀ノ尾」を生み出した育種家「阿部亀治」をはじめ7人の育種家の功績に、頭が下がる思いでした。

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「亀ノ尾」を使った酒造りに賭ける思いを語る、鯉川酒造の佐藤一良社長(正面奥)

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昼食:伝統食列車に向けての国産材料・無添加の特製「JAあまるめこだわり弁当」

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JAあまるめ自慢の「つや姫」のご飯

午後2時から、「放射能汚染の下での食と農、エネルギー問題」と題して討論会が行われました。
 問題提起
      ・福島県北農民連副会長 阿部哲也さん
      ・余目町農業協同組合代表理事組合長 森屋要二さん
      ・静岡県藤枝市「無農薬茶の会」代表 杵塚敏明さん
 コーディネーター
      ・国民の食糧と健康を守る運動全国連絡会事務局長 
                  坂口正明さん 

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討論会の一風景

夕食交流会
作り手  ・JAあまるめ女性部 
      ・庄内町生活改善推進協議会 
      ・JA庄内みどり平田赤ねぎ専門部会

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大根の粕漬け

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昆布巻き

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うどと身欠きニシンの煮物

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つゆ餅

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赤ねぎせんべい


《3日目》

標高400mにある月の沢温泉「北月山荘」は、郷土を愛する人たちの総合力で自然や文化を後世に伝える取り組みをしています。「やまぶどうの会」の地元のお母さんたちが作る「地産地消の伝統食のごちそう」を昼食に頂きました。
全国から「伝統食を考える会」の皆さんが来てくれるのならと、農家のお母さんが黄はだを持って来て「黄はだ風呂」を準備して迎えてくれました。
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「冬物語御膳」

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北月山荘自慢のイワナの炭火焼き

伝統食列車第20号は2泊3日の行程を終了しました。この後28名が福島へのオプショナルツアーに参加しました。
posted by dentousyoku 2011/12/13 | 伝統食列車>第20号−山形県庄内町

2011年12月10日

伝統食列車20号」オプショナルツアー                福島へ視察・交流ツアー


「伝統食列車20号」オプショナルツアー 
              福島へ視察・交流ツアー
2011年12月4日(日)〜5日(月) 

       福島を忘れない・忘れてはいけない

伝統食列車20号に引き続き4日の夜は福島県二本松市岳温泉「喜ら里」に宿泊し、翌朝福島農民連の佐々木健洋さんの案内で参加者28人を乗せたバスは福島市内、川俣町、飯館村、南相馬市、相馬市、霊山町、福島市大波地区など各地を7時間余りかけて一巡しました。

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まず初めに、福島県農民連が運営している「産直カフェ」で買い物を楽しみました。そこには、福島産の果物や野菜と共に奈良県産の農作物が並んでいます。佐々木さんの説明によると、地元の農産物を積極的に売る事は大切である。しかし、幼い子どもの健康を考え福島県産の作物を不安に思う消費者もいる。そんな母親の思いも理解できるので奈良農民連を通じて奈良県の農産物を店頭に並べ食材を選択出来るチャンスを作っているとのことでした。伝統食列車20号が走った余目のお米もありました。農家の人達が丹精こめて作った農産物が放射能汚染として特別扱いされ、売れないのは農業への愛着や誇りがズタズタにされてしまうのではないかと心が痛みます。また、地元の農産物を避けなくてはならない消費者の気持ちも複雑なものと思われてなりません。原発事故がもたらした深刻な問題が見えてきたように思います。


私たちの乗ったバスが川俣町に入ると車窓からは赤い柿の実がたわわにみのり青い空に美しく映えるのどかな田園風景になってきます。この地はあんぽ柿の産地ですが500ベクレルと言う高濃度のセシウムが検出されたため出荷停止となりました。柿は木に実ったままです。来年の品質を維持するには実をもいでしまうのですが来年の見通しが立たない今、その意欲も萎えてしまったそうです。のどかに見えた風景は年間35億円の産業が原発事故によって無になってしまった苦しみや悲しみ、怒りを象徴している農家の姿だったのです。


バスは飯館村を通過します。
全村避難地域となった村。「までいの里」として人と人のつながりや心をこめた丁寧さを大切にしてきた村は原発事故で無人の地となってしまいました。閉ざされた家や商店は当時の生活を残して丁寧にカーテンやシャッターが下ろされ、家の周りや庭は整頓され、田んぼの草は夏の間に刈り取って手入れがなされた跡がうかがえます。帰る日のためにきちんと片づけて去っていったのでしょう。この静けさは「早く家に帰りたい」という村人の心の叫びが押し込まれた静けさであろうと心が痛む風景です。



バスは南相馬市、相馬市へと浜通りを走ります。


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バスの車窓から見える防風林のほとんどは津波になぎ倒され、まばらに残った数少ない木はその凄まじさを物語っています。家の土台だけが残った住宅地は空き地のままです。手つかずの空き地には何艘もの船が打ち上げられ無残な姿で横たわっています。9か月たっても未だ復旧されていない地域があちこちに点在しています。


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南相馬市へ
放射能汚染により立ち入り禁止地域に設けられたバリケード近くの「道の駅駐車場」で昼食。農民連で準備していただいた「日本の伝統食を考える会」にふさわしいお弁当をいただいた後、買い物や近くの散策へとバスから降りたのですが、道路を隔てた仮設住宅からは人の気配すら感じられない静けさが漂っています。仮設住宅でこの冬を過ごす人たちの日常や生活再建はどうなるのでしょう。生活する人の実態に視点を当て、人々の生活や心に寄り添った復旧復興がなされる事を願わざるを得ない光景を垣間見たひと時でした。


相馬市へ
この地域の米倉庫が全て流されたため、自分たちの食べる米を購入しなくてはならないのです。福島農民連ではこの地域にお米をカンパしたそうです。私たちのささやかな義援金が必要な人のところに適切に使われた事を知りました。それに比べて国や東京電力、行政機関の形式的な対応にもどかしさを感じてしまいます。



松川浦にあった日通の倉庫には農民連の米倉庫があったそうですが、米は全て流され1q先まで、米が散乱し、腐敗し、悪臭を放ち、屋根の上にまで大きな重い米袋がのっかっていたそうです。10m以上の大津波のすさまじさを物語っているようです。


漁業や民宿で生計を立てていた地域.ほとんどが家の土台だけ残す無人の地になってしまいました。そんな港に幾艘もの船が停泊しています。これは津波の時漁に出ていた船や安全な場所に避難して無事だった船です。地域全体が津波で流され何も残っていない所に残った船の存在に思わず「よかった」の言葉が出たほどです。


特定避難勧奨地域に指定されてる伊達市霊山町を通過。
霊山地域では放射線量が局地的に高い「ホットスポット」と判断される場所が小規模に、あちこちに点在しています。そこに住居を構える住民は避難するかどうかを自身で決めなくてはならないのです。国や県から大切な情報を適切に示されているのでしょうか。
 

福島市大波地区を通過。
予算や人手不足のため、十分なサンプリング検査が行われず、数か所の検査だけで安心だと判断された地域ですが、11月に出荷した米は後に基準値を超える事が判明し出荷停止となりました。これは農家の責任ではなくそれまで十分なサンプリング調査をしなかった国や県の責任であり東京電力の原発事故が原因です。農家に責任は無いはずですが出荷自粛・停止という言葉は農家に責任があるような雰囲気をかもし出しているのが気がかりです。


最後に
「福島を忘れられるのがつらい」「原発事故の報道が少なくなる中、原発による被害は無くなったと思われるのがこわい」という福島の人達。そのつらさや悲しみ、怒りを福島の地に立つことでわずかでも共有する事が出来たと思える旅でした。農業や漁業をあきらめる事のないよう、豊かな実りを喜び誇れるよう、私たちにどんな支援・応援ができるかを考えた1日でした。


posted by dentousyoku 2011/12/10 | 伝統食列車>第20号−山形県庄内町

2011年12月09日

Bq/s?Sv?

 福島の原発事故以来ニュースでベクレルとかシーベルトの用語を耳にしない日はない。安全なはずの原発がそれだけ深刻な事故を惹き起こしたというわけだ。
 (財)食品流通構造改善促進機構がボランティアで運用している、ホームページのデータに「厚生労働省報道発表資料」がある。それによると、厚労省の定めた暫定規制値は、

放射性ヨウ素( 飲料水・牛乳・乳製品)ーーー300ベクレル/s  
        ( 野菜・魚介類)−−−−−−ー2000ベクレル/s
 
         
放射性セシウム(飲料水・牛乳・乳製品)−−−200ベクレル/s   
          (野菜類・穀類・肉・卵・魚)−−500ベクレル/s

「ベクレル/sは放射能の強さを表す単位です。放射性物質を焚き火に例えると、火の強さに相当します」とある。放射能と焚き火を混同するような浅はかな見識だから、原発は安全だといえるのだろう。
 小宮山大臣はタバコが健康に悪いから増税すると言ったが、放射能はどうなんだ? 増税して東電を助けようなどとはとんでもない話。
 原発事故による海洋汚染を避けて迂回したのかどうかは知らないが、今年紀伊半島にサンマが回遊してきたのは例年より一月も遅れてやっとたどり着いた様子で、一昨日が今秋初めての水揚げだという。北海道で水揚げされたサンマから12ベクレル/sの放射性セシウムが検出されたが、原発事故当時サンマは、はるか沖合いにいたはずだから、当初は海に降下した放射性物質で多少汚染されたものと考えられるという。12という数値は食べて問題の無い値らしい。餌になるプランクトンの汚染データが無いので、内部被爆も断言できないそうだが、サンマ自体も放射線セシウムをエラや尿で排出するので50日くらいで半分の濃度になるという。

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 昨日届いたサンマは丸干しにした。丸干しや鮨、毎年楽しみにしている旬の味に内部被爆の心配をしなければならんとは! 列島の豊かな漁場を原発だらけにして、魚も安心して食べられないような電気なら無くても結構。

             11,12,9(卓)

posted by dentousyoku 2011/12/09 | コラム>ただいま奮闘中