2015年09月13日

試みは失敗多く、判断は難しい

 数年前、当会の行事で和歌山県の古座川町を訪問した時に、お世話をして下さった女性との雑談でサンマの寿司と茶粥の話をしたら、我が家と同じだと言って食文化について語り合う機会を得た。
 彼女の話によると、同じ南紀でもサンマ寿司を作る時に、那智勝浦町を境にして西の方はユズの果汁を使い、東の方(三重県の熊野地方を含め)はサンズ(たぶんダイダイの一種と思う)に分かれているそうだ。元は、果汁を調味料として使うために各家庭に植樹したのが、たまたま古座川町付近はユズを植え、熊野地方がサンズだったのだろうという説に落ち着いた。
 この対話から急遽柑橘類に執着し始めたわけではなく、生まれ育った山村の畑の傍にもユズの大木(ユズにしては)があって、酢を使う料理に調味料として利用されていた記憶もあり、味にも馴染んでいる。
 関心があるものは何でも自分で作りたくなる悪癖で、現住所に転住してユズやダイダイの植樹から始めた。杉や桧なら共に育ってきたようなものだから、その素性もわかつているが、柑橘類の育て方などは見当もつかない。そこで図書館へ行って本を借りて読んでいたら、日本の柑橘類の来歴に「柑橘類導入の最も古い記録は,『非時香菓(トキジクノカグノコバ)』で、記紀ではこれをタチバナとしているが、『非時香菓』は常に結実している香気馥郁とした果実の意味だからダイダイがこれにふさわしいという説があり、これに対して、牧野富太郎は、生死を賭して導入したのだからタチバナやダイダイのように生食的価値のないものではなく、食用柑橘だった筈だと反論している。」との一節があつた。
 その来歴の真偽はともかく、利用する立場からは香気馥郁としたダイダイを支持する。毎年冬になるとユズ・ダイダイ・スダチの果汁を絞って保存しておき、用途に応じて混合したり単品で使ったりする。しかし、果汁を絞るのには難儀する。何とか手軽に絞る方法はないかと考えた挙句に、木製圧搾機の製造にとりかかった。
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 発想まではよかったが、圧搾には堅い木材が必要だろうと思って、庭先に転がっていたケヤキ丸太の製材から始めた。
 一日がかりで材料を揃えて圧搾機作りを始めたものの、長方形の堅いケヤキの切り口を建築用の鑿(のみ)で椀状にくり抜くのが至難のわざ。 専用の工具があれば簡単な細工なのに、延べ4日間を要した。
 試しにタマネギをつぶしてみたが、縦長の箱状では不安定で使い物にならず。
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 結局、台座を作って固定化はしたものの、冬になって実際に果汁を搾ってみないことには使い物になるかどうかは分からぬ。だめなら叩き潰して薪にするだけだ。

 年を重ねるにしたがって物事が面倒くさくなる、横着者化してきたわけではないが、老いぼれてくると全てに動きが緩慢になり作業がはかどらない。数年前は一時間ていどで草を刈って清掃していた同じ場所を、今年は刈るだけで七時間を要した、土手で休憩が主で、その間に草刈をするような状態ではあったが。
 これからは畑仕事もできるだけ手抜きをすることに決めた。緩慢な動作で草取りでもしていたら一通り終わった頃には、最初のところが草だらけになって年中草取りになってしまうから、不耕起に変更しようと考えて、カボチャとキュウリと小豆で実験を試みた。

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 カボチャは定植初期に面倒を見てやれば、草の上を乗り越えて成長する。

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 果実が肥大してくると、その重みで草の下に沈んでしまう、カボチャは草の下でも平気で肥大を続けるが、
収穫には草刈機が必要になって面倒だ。

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 小豆も初期に面倒を見てやれば、畝全体を葉で覆って草を押さえつけてしまう。

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 キュウリも今のところ問題はなし。

 「人生は短く、術の道は遠い。試みには失敗が多く、判断は難しい」ヒポクラテスが残した言葉だと言うが、われわれ凡人が試みて失敗するのは当たりまえで、自給自足に近いような暮らしをしていると、他人の迷惑になることも無いだろうし、自分自身が困るだけだから、気にする事も無い。
 ところが、医者の失敗は他人の命に関わるから問題だ。ヒポクラテスは試みに医療ミスが多かったのだろうか。その結果「自分の技術は、人類の福祉以外には使用しない」誓いをたてたのかもしれない。
 権力の御用学者諸氏よ、「ヒポクラテスの誓い」をよく勉強して姿勢を正してはいかがか。

        2015・9.14       (卓)
posted by dentousyoku 2015/09/13 | コラム>ただいま奮闘中