2011年12月10日

伝統食列車20号」オプショナルツアー                福島へ視察・交流ツアー


「伝統食列車20号」オプショナルツアー 
              福島へ視察・交流ツアー
2011年12月4日(日)〜5日(月) 

       福島を忘れない・忘れてはいけない

伝統食列車20号に引き続き4日の夜は福島県二本松市岳温泉「喜ら里」に宿泊し、翌朝福島農民連の佐々木健洋さんの案内で参加者28人を乗せたバスは福島市内、川俣町、飯館村、南相馬市、相馬市、霊山町、福島市大波地区など各地を7時間余りかけて一巡しました。

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まず初めに、福島県農民連が運営している「産直カフェ」で買い物を楽しみました。そこには、福島産の果物や野菜と共に奈良県産の農作物が並んでいます。佐々木さんの説明によると、地元の農産物を積極的に売る事は大切である。しかし、幼い子どもの健康を考え福島県産の作物を不安に思う消費者もいる。そんな母親の思いも理解できるので奈良農民連を通じて奈良県の農産物を店頭に並べ食材を選択出来るチャンスを作っているとのことでした。伝統食列車20号が走った余目のお米もありました。農家の人達が丹精こめて作った農産物が放射能汚染として特別扱いされ、売れないのは農業への愛着や誇りがズタズタにされてしまうのではないかと心が痛みます。また、地元の農産物を避けなくてはならない消費者の気持ちも複雑なものと思われてなりません。原発事故がもたらした深刻な問題が見えてきたように思います。


私たちの乗ったバスが川俣町に入ると車窓からは赤い柿の実がたわわにみのり青い空に美しく映えるのどかな田園風景になってきます。この地はあんぽ柿の産地ですが500ベクレルと言う高濃度のセシウムが検出されたため出荷停止となりました。柿は木に実ったままです。来年の品質を維持するには実をもいでしまうのですが来年の見通しが立たない今、その意欲も萎えてしまったそうです。のどかに見えた風景は年間35億円の産業が原発事故によって無になってしまった苦しみや悲しみ、怒りを象徴している農家の姿だったのです。


バスは飯館村を通過します。
全村避難地域となった村。「までいの里」として人と人のつながりや心をこめた丁寧さを大切にしてきた村は原発事故で無人の地となってしまいました。閉ざされた家や商店は当時の生活を残して丁寧にカーテンやシャッターが下ろされ、家の周りや庭は整頓され、田んぼの草は夏の間に刈り取って手入れがなされた跡がうかがえます。帰る日のためにきちんと片づけて去っていったのでしょう。この静けさは「早く家に帰りたい」という村人の心の叫びが押し込まれた静けさであろうと心が痛む風景です。



バスは南相馬市、相馬市へと浜通りを走ります。


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バスの車窓から見える防風林のほとんどは津波になぎ倒され、まばらに残った数少ない木はその凄まじさを物語っています。家の土台だけが残った住宅地は空き地のままです。手つかずの空き地には何艘もの船が打ち上げられ無残な姿で横たわっています。9か月たっても未だ復旧されていない地域があちこちに点在しています。


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南相馬市へ
放射能汚染により立ち入り禁止地域に設けられたバリケード近くの「道の駅駐車場」で昼食。農民連で準備していただいた「日本の伝統食を考える会」にふさわしいお弁当をいただいた後、買い物や近くの散策へとバスから降りたのですが、道路を隔てた仮設住宅からは人の気配すら感じられない静けさが漂っています。仮設住宅でこの冬を過ごす人たちの日常や生活再建はどうなるのでしょう。生活する人の実態に視点を当て、人々の生活や心に寄り添った復旧復興がなされる事を願わざるを得ない光景を垣間見たひと時でした。


相馬市へ
この地域の米倉庫が全て流されたため、自分たちの食べる米を購入しなくてはならないのです。福島農民連ではこの地域にお米をカンパしたそうです。私たちのささやかな義援金が必要な人のところに適切に使われた事を知りました。それに比べて国や東京電力、行政機関の形式的な対応にもどかしさを感じてしまいます。



松川浦にあった日通の倉庫には農民連の米倉庫があったそうですが、米は全て流され1q先まで、米が散乱し、腐敗し、悪臭を放ち、屋根の上にまで大きな重い米袋がのっかっていたそうです。10m以上の大津波のすさまじさを物語っているようです。


漁業や民宿で生計を立てていた地域.ほとんどが家の土台だけ残す無人の地になってしまいました。そんな港に幾艘もの船が停泊しています。これは津波の時漁に出ていた船や安全な場所に避難して無事だった船です。地域全体が津波で流され何も残っていない所に残った船の存在に思わず「よかった」の言葉が出たほどです。


特定避難勧奨地域に指定されてる伊達市霊山町を通過。
霊山地域では放射線量が局地的に高い「ホットスポット」と判断される場所が小規模に、あちこちに点在しています。そこに住居を構える住民は避難するかどうかを自身で決めなくてはならないのです。国や県から大切な情報を適切に示されているのでしょうか。
 

福島市大波地区を通過。
予算や人手不足のため、十分なサンプリング検査が行われず、数か所の検査だけで安心だと判断された地域ですが、11月に出荷した米は後に基準値を超える事が判明し出荷停止となりました。これは農家の責任ではなくそれまで十分なサンプリング調査をしなかった国や県の責任であり東京電力の原発事故が原因です。農家に責任は無いはずですが出荷自粛・停止という言葉は農家に責任があるような雰囲気をかもし出しているのが気がかりです。


最後に
「福島を忘れられるのがつらい」「原発事故の報道が少なくなる中、原発による被害は無くなったと思われるのがこわい」という福島の人達。そのつらさや悲しみ、怒りを福島の地に立つことでわずかでも共有する事が出来たと思える旅でした。農業や漁業をあきらめる事のないよう、豊かな実りを喜び誇れるよう、私たちにどんな支援・応援ができるかを考えた1日でした。


posted by dentousyoku 2011/12/10 | 伝統食列車>第20号−山形県庄内町