
テ ー マ
―戦後70年 日本の平和は沖縄から―
豊かな自然と地域に根ざした食文化を次世代へ
―戦後70年 日本の平和は沖縄から―
豊かな自然と地域に根ざした食文化を次世代へ
2015年10月23〜25日までの3日間全国から63名が沖縄を訪問
【 第1日目10/23(金)】
那覇空港へ現地集合。
現地実行委員会の出迎えを受け、2台のバスは名護市労働福祉センターへ。
セレモニーで、現地実行委員長の沖縄県農民組合連合会会長・中村康範さんから歓迎の挨拶を受けました。

参加者代表が、新基地建設反対名護共同センター所長代理・屋良博一さんにカンパを手渡しました。

いよいよ古堅実吉さん(元衆議院議員)の基調講演。
テーマ「辺野古新基地建設反対闘争の歴史」

古堅さんは1945年3月、15歳の時召集され沖縄戦を体験。
米軍基地の始まりについて古堅さんは、「@沖縄戦で生き残った住民を収容所に閉じ込めている間に米軍が略奪。 A銃剣とブルドーザーで軍政府が住民の土地を接収。」と説明。
さらに、米軍基地問題は、B辺野古新基地建設計画と続く。辺野古新基地建設の計画が出てきたのは、1995年米兵による少女暴行事件が発生。爆発的な抗議行動の中、普天間基地撤去要求が持ち上がり、96年SACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意で普天間基地の返還条件が辺野古新基地建設であった。「『軍隊・基地・戦争』に頼っている限り、平和もかけがえのない命も守れない。
辺野古断念!戦争法廃止!勝つ以外にない!」古堅さんは穏やかに毅然と結ばれました。
≪郷土食交流会≫ 夕食
会場を「がらまんじゃく」から金武町中央公民館に変更(天候の都合)
ゴーヤジュースで乾杯の後、「がらまんじゃく」店主・山城清子さんの料理説明とお話。沖縄には「てぃーあんだー」(手の愛情で料理する)という世界があると、山城さん。地元で採れた野草、薬草、原種(こぼれ種から栽培した)の野菜を中心にした、色彩鮮やかな料理です。おばあさんの味(母の味)が継承できるのは平和であってこそと強調されました。

料理説明をする山城清子さん

「松花堂弁当」に盛られた料理
画像をクリックすると詳細表示されます
沖縄の郷土芸能が披露され、津波恒英さんと山川克文さんの三線とギターによる、沖縄民謡などを聴き、石木照子さんの踊りを鑑賞しました。

郷土芸能

最後は全員でカチャーシーを踊る
東村高江のF1テントに到着。

やんばる(山原)の森には地球上でここだけにしかいないヤンバルクイナ、ノグチゲラなどの固有種や絶滅危惧種が数多く生息しています。このやんばるの中に東村高江があります。人口160人の高江区に6つのヘリパッド建設が計画され、2007年7月工事が強行されました。
「ヘリパッドいらない住民の会」伊佐育子さんから、9年目になるという抗議のための座り込みのお話を聞きました。

おからと黒糖、胡麻などで作った「きらず揚げ」と檄布・カンパを手渡す

闘いの歴史を語る伊佐育子さん
昼食は大宜味村にある農家レストラン「笑味の店」(店主・金城笑子さん)で、「長寿弁当」をいただきました。

「笑味の店」の入口に飾られた花

金城笑子さんの料理説明

「笑味の店」の「長寿弁当」
画像をクリックすると詳細表示されます
名護市労働福祉センターでシンポジウム
シンポジウムに先立ち、会場に駆けつけて下さった稲嶺進・名護市長から、連帯の挨拶をいただきました。

稲嶺進・名護市長の挨拶
続いてシンポジウムで「沖縄の農と食文化と健康」をテーマに、4人のシンポジストが発言しました。
「沖縄の『食』を取材して」
―沖縄タイムス編集局社会部副部長・儀間多美子さん
「東村の戦後の農業の歩みと現状と課題」
―東村でシークワーサー・タンカン生産者・當山全伸さん
「大宜味村での実践」
―「笑味の店」店主・管理栄養士・金城笑子さん
「沖縄の食と健康、食文化」
―とよみ生協病院管理栄養士・新垣慶子さん

シンポジウムの様子
シンポジウムの後、名護共同センター学習担当・古堅宗嘉さんに「辺野古・大浦湾の自然と闘いの歴史」のスライドショーを見せていただきながら、なぜ辺野古の闘いがオール沖縄へと発展したのか話を聞きました。国内有数の生物多様性の宝庫である、辺野古・大浦湾のたくさんのスライドも見ました。

100枚くらいのスライドを準備して下さった古堅宗嘉さん
やっと晴れ上がったものの風強く、抗議船「平和丸」は断念。
名護共同センター・安里徹士さんの案内で、辺野古・大浦湾が見渡せる「瀬嵩の浜」へ。

「瀬嵩の浜」

向こうに見えるのが、立ち入り禁止区域を囲むフロート
辺野古新基地は単なる普天間基地の代替移設ではなく、耐用年数200年の巨大侵略基地であると説明を受けた。昨日スライドショーで見た、美しい海中写真の数々が浮かぶ。

資料を片手に安里徹士さんの説明を聞く
キャンプ・シュワブゲート前テントに移動。

檄布ときらず揚げを手渡し連帯の挨拶

座り込みに参加
列車最後の郷土食交流会昼食会場、那覇市「国場公民館」へ
現地実行委員会の皆さんと料理の作り手さん達に出迎えられる。
家庭で作ることが少なくなり買うものになってきている「重箱料理」を、伝統食列車受け入れを機におばあ達に教えてもらいながら再現して下さいました。

会場内の展示

料理説明

料理作り手の新婦人の皆さんと地元の女性たち20名あまりの自己紹介


沖縄県農民連事務局・大城一雄さん(右端)をはじめ、現地実行委員の皆さんたち

重箱料理

餅

「ウサンミ(重箱料理に詰める伝統料理)」弁当
画像をクリックすると詳細表示されます
アダンの葉で作る箸置きを習う参加者
第24号伝統食列車は平和を守り伝統食を伝える多くの沖縄の方々と参加者が、交流・連帯し合えた列車でした。
食の分野からのネットワークで、日本の真の平和と食料主権の確立、食文化の継承・発展をご一緒に実現させましょう。
詳細は機関紙「伝統食だより」第197号に掲載しています。
現地実行委員会の出迎えを受け、2台のバスは名護市労働福祉センターへ。
セレモニーで、現地実行委員長の沖縄県農民組合連合会会長・中村康範さんから歓迎の挨拶を受けました。

参加者代表が、新基地建設反対名護共同センター所長代理・屋良博一さんにカンパを手渡しました。
いよいよ古堅実吉さん(元衆議院議員)の基調講演。
テーマ「辺野古新基地建設反対闘争の歴史」
古堅さんは1945年3月、15歳の時召集され沖縄戦を体験。
米軍基地の始まりについて古堅さんは、「@沖縄戦で生き残った住民を収容所に閉じ込めている間に米軍が略奪。 A銃剣とブルドーザーで軍政府が住民の土地を接収。」と説明。
さらに、米軍基地問題は、B辺野古新基地建設計画と続く。辺野古新基地建設の計画が出てきたのは、1995年米兵による少女暴行事件が発生。爆発的な抗議行動の中、普天間基地撤去要求が持ち上がり、96年SACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意で普天間基地の返還条件が辺野古新基地建設であった。「『軍隊・基地・戦争』に頼っている限り、平和もかけがえのない命も守れない。
辺野古断念!戦争法廃止!勝つ以外にない!」古堅さんは穏やかに毅然と結ばれました。
≪郷土食交流会≫ 夕食
会場を「がらまんじゃく」から金武町中央公民館に変更(天候の都合)
ゴーヤジュースで乾杯の後、「がらまんじゃく」店主・山城清子さんの料理説明とお話。沖縄には「てぃーあんだー」(手の愛情で料理する)という世界があると、山城さん。地元で採れた野草、薬草、原種(こぼれ種から栽培した)の野菜を中心にした、色彩鮮やかな料理です。おばあさんの味(母の味)が継承できるのは平和であってこそと強調されました。
料理説明をする山城清子さん
「松花堂弁当」に盛られた料理
画像をクリックすると詳細表示されます
沖縄の郷土芸能が披露され、津波恒英さんと山川克文さんの三線とギターによる、沖縄民謡などを聴き、石木照子さんの踊りを鑑賞しました。
郷土芸能
最後は全員でカチャーシーを踊る
【第2日目10/24(土)】
東村高江のF1テントに到着。
やんばる(山原)の森には地球上でここだけにしかいないヤンバルクイナ、ノグチゲラなどの固有種や絶滅危惧種が数多く生息しています。このやんばるの中に東村高江があります。人口160人の高江区に6つのヘリパッド建設が計画され、2007年7月工事が強行されました。
「ヘリパッドいらない住民の会」伊佐育子さんから、9年目になるという抗議のための座り込みのお話を聞きました。
おからと黒糖、胡麻などで作った「きらず揚げ」と檄布・カンパを手渡す
闘いの歴史を語る伊佐育子さん
昼食は大宜味村にある農家レストラン「笑味の店」(店主・金城笑子さん)で、「長寿弁当」をいただきました。
「笑味の店」の入口に飾られた花
金城笑子さんの料理説明
「笑味の店」の「長寿弁当」
画像をクリックすると詳細表示されます
名護市労働福祉センターでシンポジウム
シンポジウムに先立ち、会場に駆けつけて下さった稲嶺進・名護市長から、連帯の挨拶をいただきました。
稲嶺進・名護市長の挨拶
続いてシンポジウムで「沖縄の農と食文化と健康」をテーマに、4人のシンポジストが発言しました。
「沖縄の『食』を取材して」
―沖縄タイムス編集局社会部副部長・儀間多美子さん
「東村の戦後の農業の歩みと現状と課題」
―東村でシークワーサー・タンカン生産者・當山全伸さん
「大宜味村での実践」
―「笑味の店」店主・管理栄養士・金城笑子さん
「沖縄の食と健康、食文化」
―とよみ生協病院管理栄養士・新垣慶子さん
シンポジウムの様子
シンポジウムの後、名護共同センター学習担当・古堅宗嘉さんに「辺野古・大浦湾の自然と闘いの歴史」のスライドショーを見せていただきながら、なぜ辺野古の闘いがオール沖縄へと発展したのか話を聞きました。国内有数の生物多様性の宝庫である、辺野古・大浦湾のたくさんのスライドも見ました。
100枚くらいのスライドを準備して下さった古堅宗嘉さん
【第3日目10/25(日)】
やっと晴れ上がったものの風強く、抗議船「平和丸」は断念。
名護共同センター・安里徹士さんの案内で、辺野古・大浦湾が見渡せる「瀬嵩の浜」へ。

「瀬嵩の浜」
向こうに見えるのが、立ち入り禁止区域を囲むフロート
辺野古新基地は単なる普天間基地の代替移設ではなく、耐用年数200年の巨大侵略基地であると説明を受けた。昨日スライドショーで見た、美しい海中写真の数々が浮かぶ。
資料を片手に安里徹士さんの説明を聞く
キャンプ・シュワブゲート前テントに移動。
檄布ときらず揚げを手渡し連帯の挨拶
座り込みに参加
列車最後の郷土食交流会昼食会場、那覇市「国場公民館」へ
現地実行委員会の皆さんと料理の作り手さん達に出迎えられる。
家庭で作ることが少なくなり買うものになってきている「重箱料理」を、伝統食列車受け入れを機におばあ達に教えてもらいながら再現して下さいました。
会場内の展示
料理説明

料理作り手の新婦人の皆さんと地元の女性たち20名あまりの自己紹介


沖縄県農民連事務局・大城一雄さん(右端)をはじめ、現地実行委員の皆さんたち

重箱料理

餅
「ウサンミ(重箱料理に詰める伝統料理)」弁当
画像をクリックすると詳細表示されます
アダンの葉で作る箸置きを習う参加者
第24号伝統食列車は平和を守り伝統食を伝える多くの沖縄の方々と参加者が、交流・連帯し合えた列車でした。
食の分野からのネットワークで、日本の真の平和と食料主権の確立、食文化の継承・発展をご一緒に実現させましょう。
詳細は機関紙「伝統食だより」第197号に掲載しています。